双頭の夜叉Before ~A Waking Precious day~【01】
――祖父のことを思い返していた。
記憶の中にある祖父は、浴衣を纏い、風鈴の音が響く縁側に座っている。
その視線は遠く、彼の膝元に寝そべる幼い私など全く意に介してはいなかった。
齢六十を過ぎてなお、力強い活力に満ちた祖父の瞳。
その瞳が一体何を見ているのか。幾度となく気にはなったが、私がそれを聞くことはついぞなかった。
具体的な答えを聞いてしまったら、祖父が遠いどこかへ旅立ってしまうと思ったからだ。
祖父に問いかけようとするたびに、私は何となく不安になってその痩せた腹部に抱き着いたものだ。
そうすれば、必ず祖父は私を見てくれたから。彼の瞳は、私のいるここへと向けられる。
「ねえ、じいじ」
「どうした。ライカ」
「おばあちゃんのおはなし、して?」
「もう大体のことは話したと思うがなぁ」
祖父は苦笑を浮かべながら頭をかいた。
うーんとうなり声をあげて、ライカ――つまり私の頭を3回ほど優しく叩く。
「もっと別のお話をしようか?」
「……いやっ。おばあちゃんのおはなしだけ」
「そうかあ。それは困ったなぁ」
祖父は私から視線を外し、困った顔で遠くの方を見た。
祖母の話など、正直どうでも良かった。
私が生まれる前に祖母は死んでしまったし、面識のない誰かに興味を持つには、私はまだ幼かった。
ただ目の前にいる祖父の興味さえ良かったのだ。
私の頭を撫でながら、祖父は祖母との記憶を思い返す。それが私と祖父のお決り的なやりとりだった。
3秒ほどして、私は何度と聞かされた祖父たちのお話を聞くことになるのだ。
――だが、いつもの記憶の中の祖父とのやりとりに、祖語が生じていた。
十秒近くたっても祖父は何も語らず、幼い私は不安を隠せず表情を曇らせる。
その膝元から祖父の顔を見上げた。その瞳は、私のいるここではなく、私の知らないどこかへと向けられていた。
どこかを見たまま、祖父は唇を震わせながら口をゆっくりと開いた。
「ライカ」
悲しみか。怒りか。祖父の表情は、少なくとも楽しそうには見えなかった。
祖父は一度つばを飲み込み、絞り出すように声をひねり出す。
「お前はいつかあの国へ至っても、対話することを――」
そこで祖父の言葉は途切れた。
同時に、祖父の膝に乗っていたはずの私の頭は、縁側の古びた床へコテッと落とされた。
痛みはほとんどなかったが、私は状況が理解できずに同じ姿勢のまま身を強張らせる。
「じいじ?」
祖父を呼ぶ。答えは返ってこない。
それが祖父を見た最後だった。
記憶の中で最適化された、私の中に残る祖父との最後のやりとりだった。